天海大僧正ゆかりの地

会津美里に残る天海大僧正の史跡

天海大僧正石像

生誕地の斜め向かい、会津美里町公民館の前庭に立つ天海大僧正の石像。地元団体により昭和53年に建立された。

護法石

舟木景光夫妻が子の生誕を喜び、屋敷地内に祀ったという。天海大僧正が太陽を拝んだ石とも伝えられ、「天一」の陰刻が残る。

慈眼大師御誕生地

大正13年、舟木舘跡に建立された天海大僧正の生誕地をしめす石標。刻字は輪王寺門跡大照円朗大僧正による書。

浮身観音八葉堂

天海大僧正が10歳の頃に霊夢によって浮目(浮身)の水田の中から発見した観音像を祀る。平成5年にこの八葉堂へ移された。11月3日ご開帳。

天海大僧正木造坐像

龍興寺本堂の天海大僧正坐像。壮年の頃の姿といい、正徳4年(1714)寛永寺にて開眼し、到着までに会津領内を勧進して歩いたという。

道樹山 龍興寺

嘉祥元年(848)開山の天台宗の名刹。天海大僧正が11歳のときに得度し、名を随風と改め3年間修行した。国宝「一字蓮台法華経」でも名高い。
※拝観時要予約 TEL:0242-54-2446

舜幸法印の墓

龍興寺境内、八葉堂の南側にある歴代住職の墓域。天海大僧正を得度させた第29世弁誉舜幸法印の宝筐印塔は、5基並ぶうちの中央。

天海大僧正両親の墓

大正4年に龍興寺境内に埋もれていたものが発見され改修、再祀された。一対の五輪の塔で地輪に彫られた「景光」の名が微かに残る。

高田城跡

天海大僧正の母は高田城を居城とした葦名氏の出。築城時期は定かではなく、現在は雷神様を祀る祠が建つ。高田中学校北側に土塁が残る程度。

清龍寺 文殊堂

もと伊佐須美神社奥の院で、子に恵まれなかった天海大僧正の両親が籠り、子を授かるよう祈願した。日本三大文殊の一つ「筆の文殊」。
TEL:0242-54-2786

朱漆金銅装神輿

高田城主葦名盛安・盛常父子が大永6年(1526)に奉納した、優美な室町時代の神輿で国重要文化財に指定。
伊佐須美神社蔵・宝物殿入館料700円
拝観時要予約☎0242-54-5050

天海大僧正御手植檜

伊佐須美神社本殿の東側にあり、天海大僧正が永禄元年(1558)に植えたと伝えられる。幹周4m以上の大樹。福島県緑の文化財指定。

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天海大僧正まちあるきマップ
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天海大僧正生誕の地、会津美里町高田地域のまちあるきマップです。天海大僧正ゆかりの史跡や文化財を巡り歩きましょう。

日本各地に残る天海大僧正の足跡

比叡山 延暦寺[滋賀県]

天台宗総本山。南光坊にて起居し、のち再建に尽くした。

滋賀県大津市坂本本町4220

川越大師 喜多院[埼玉県]

55歳の時、ここで名を「天海」と改め、第27世の法統を61歳で継ぐ。

埼玉県川越市小仙波町1-20-1

興福寺[奈良県]

法相宗大本山。随風22歳の時、この地で法相三論を修めた。

奈良県奈良市登大路町48

日光東照宮[栃木県]

生前に祭祀を遺言され、遷宮を経て徳川家康を祀った地。

栃木県日光市山内2301

甲斐 武田神社[山梨県]

随風が招かれ、帰依を受けた武田信玄の舘跡。

山梨県甲府市古府中町2611

東叡山 寛永寺[東京都]

徳川幕府の安寧を祈願し、寛永2年(1625)に江戸城の鬼門に創建。

東京都台東区上野桜木1-14-11

医王山 不動院[茨城県]

葦名盛重(義広)が城主の時、随風が第8世の住職に迎えられた。

茨城県稲敷市江戸崎2737

日光山 輪王寺[栃木県]

寺内には、天海大僧正の眠る慈眼大師堂がある。

栃木県日光市山内2300

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