本日紹介させていただく人物は、天海僧正です。
徳川家康・秀忠・家光の参謀役として活躍した「天海僧正」ですが、生まれ育ったと言われる会津美里町ではあまり名前が知られていません。
しかし、天海は徳川幕府の開府、上野寛永寺の創建、日光東照宮の造営と、徳川将軍家と深くかかわりをもち、当時の宗教界の実質的頂点へ上りつめた傑僧でした。
天海は蘆名一族として会津美里町(旧会津高田町)に生まれ、同町の天台宗の古刹龍興寺にて出家しました。前半生に謎の多い天海でしたが、会津生まれの説は間違いないようです。
その天海がこの度、「トランヴェール9月号」の特集として取り上げられました!!
「トランヴェール」では、「知られざる天海を旅する」という特集で、日光・川越・上野・生まれ故郷の会津を巡り、天海の真の姿に迫ります。
本当に、うれしいかぎりです(^ ^)
当然、生まれ故郷の会津美里町も掲載されています。
掲載されている場所は、龍興寺と法用寺です。
龍興寺は、国宝「一字蓮台法華経」を所蔵する名刹で、天海はこのお寺で出家しました。墓地には天海の両親のお墓があります。本堂の裏の華芳園では、古代蓮が咲き乱れ、幻想的な雰囲気が味わえます。
天海はここで11歳から14歳まで過ごしたといわれています。
法用寺は、会津には珍しい三重塔を有する古刹。塔越しに会津平野を見渡せば、美里町が信仰の里であったことを偲ぶことができます。平安初期に開山されてから、蘆名氏の時代まで会津の主要寺院でしたが、蘆名氏の滅亡とともに衰退に向かいました。
ここには国指定の重要文化財「法用寺厨子」と「金剛力士像」があり、ケヤキの一木造の金剛力士像の力強さに圧倒されます。
天海僧正ゆかりのお寺を巡りながら、仏都会津を堪能してみませんか?(詳細はこちら)