県指定重要文化財・建造物
左下り観音
神社仏閣
天長7年(830)に僧・徳一により建立されたもので、別名「首なし観音」と言われています。
山の中腹にある岩を切り開き構築した見事な三層閣で、樹齢数百年の老松の小道を進むと、京都の清水寺に似たお堂が見えます。
観音堂内には「首なし観音」が安置されています。
また会津藩の教育文化に尽力した学僧如黙がここに住み花月を友にしたと伝えられます。
会津三十三観音の21番札所です。
スポットデータ
住所 | 福島県大沼郡本郷町大石字東左下り1173 地図 御朱印所 |
---|---|
連絡先 | 一般社団法人 会津美里町観光協会 |
TEL / FAX | TEL:0242-56-4882 / FAX:0242-56-4876 |
関連記事 | https://misatono.jp/tag/左下り観音 |
見どころ
懸造り
左下り観音は県内に2つしかない懸造りのお堂です。
大門集落の県道より西側の参道を約800メートル程登った山上にあり、間口・奥行とともに五間三層で、向かって左半分を岩山に懸けるようにして建てられており、『懸造り』と呼ばれています。縁起によると、天長七年(830)に徳一大師が建立し、延文三年(1356)に葦名家の家臣富田将監祐義が修復したと伝えられています。
首なし観音
本尊は石像の秘仏で延長(923~930)の頃から『首なし観音』といわれています。
越後(新潟)の人が無実の罪を受け、この観音堂に逃れて救いを求めていましたが、遂に追手に捕らえられて打ち首となりました。追手はその首を越後に持ち帰り、主人に見せたところ、観音の石首であったと言います。
それ以後、この観音さまは『無頸観音』(くびなしかんのん)と呼ばれるようになったと伝えられています。
左下り観音堂は何につかわれていた?
本来の建物は修験道(しゅげんどう)にあって入行(修行に入ること)に先立ってお籠(こもり)をする行堂(長床と呼ばれる施設)でした。
会津地域に拡がる羽黒山信仰、飯豊山信仰、磐梯山信仰など周辺の修験道と密接な関係を伺うことができ、密教道場として造られました。
建物の特徴としては①方三間の『身舎』には登り口が設けられていない
②『三仏寺投入堂』と同時期の建立であり、岩場に建てられた懸造りの堂宇は修験の世界観によるということがあげられます。
御朱印情報
左下り観音入口、道向かいの集落を100メートルくらい下ると
左側に『御朱印所』と書かれた看板が見えます。
○左下り観音入口
○左下り観音看板
○入口お地蔵さんの目線の先の集落を進んでいくと
○左側に【御朱印所】の看板が見えてきます。