dscf36471
  「時代は下り、上杉景勝の時代、豊臣秀吉の死後徳川家康が政権をつかむと、秀吉の重臣であった景勝にも圧力をかけてきました。有名な直江状は会津で書かれたものです。家康の会津攻撃の報を聞くや、景勝は神指城の築城をやめ、白河方面の防塁を築き始めました。しかし、それ以前に向羽黒山城にすでに手を加えていたことはあまり知られていません。景勝は、会津に入ると真っ先に、向羽黒山城を2年間かけて大改修しているのです。景勝・兼続は、向羽黒山城を対家康戦の最後の砦として考えていた節もあり、会津で東北の関ヶ原が行われていれば、最も重要な砦となりうる山城であったのです。」〈リーフレット一部内容〉

 会津美里町観光協会で、上記のような内容を紹介している「向羽黒山城跡リーフレット」を発行いたしました。このリーフレットをご覧いただきますと、天地人と向羽黒山城跡の関係、マンガの神様手塚治虫氏と会津の関係が一目でお分かりいただけます。入手方法は下記のいずれかとなりますので、貴重なリーフレットを是非ご覧下さい。(郵送はしておりません)

リーフレット表ダウンロードはこちら
リーフレット裏ダウンロードはこちら
※リーフレットダウンロードは一部変更してあります。

会津美里町インフォメーションセンターにて無料配布しております。

Published On: 2009年6月22日Categories: お知らせTags:

記事のシェアはこちらから!