会津美里町高田地区には、地域の人から「お文殊様」と呼び親しまれている「清龍寺 文殊院」があります。
文殊院は清龍寺内にある文殊菩薩を祀ったお堂で、古くから人々の信仰を集めていました。
毎年2月25日は文殊院の例大祭「文殊大祭」で、県内外から学問成就・技芸上達を願う多くの人で賑わいます。
本日は、文殊大祭も近いことから、文殊院を紹介します。
■清龍寺のおこり
清龍寺は暦応2(1339)年、円済法師がこの地に立ち、独鈷等(仏具の一種)を投げたところ光を放ったので、土を盛り、堂を建てたことから始まります。
清龍寺はもとは伊佐須美神社境内でしたが、寛文年間(1661~73)には社地から分離し、伊佐須美神社奥の院別当をつかさどっていました。
■日本三大文殊菩薩の一
清竜寺文殊院の文殊菩薩は「筆の文殊」として信仰を集め、「紙の文殊」(天の橋立て)、「硯墨の文殊」(大和桜井)と並び日本三文殊に数えられています。いずれも書道上達の霊験があらたかで、この文殊堂の中には、4本の大筆が奉納されています。
■上野寛永寺より賜った文殊菩薩
文殊院は高田出身の名僧・天海大僧正の出生と大きく関わっていました。天海大僧正の死後、清龍寺の文殊菩薩は大僧正誕生に関わる霊験あらたかな文殊菩薩像として江戸上野寛永寺に移され、清竜寺は寛永寺から公辨法親王が開眼された文殊菩薩を、幕府から三つ葉御紋葵の御紋を拝領しました。
天明の頃、文殊堂は火災により灰塵に帰し、その文殊菩薩も燃えてしまいましたが、その後再び寛永寺より文殊菩薩像が贈られ、現在に至っています。
■境内の史跡など
○智鏡塚
布教に尽力した智鏡上人が、生身往生したとされる塚です。大きな五輪塔が建っています。
○芭蕉翁袖塚
芭蕉が奥の細道の旅に出た時、邪魔になると切り取って弟子に与えた袖を、高田の俳人がもらいうけて埋めた塚。
○知恵桜
文殊院の西側にある桜の大木。樹高が高く、赤みの強い花が咲きます。