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高田上町の姥神様は、江戸時代後期の頃に高田町の三区の人達が講中を作って毎年旧暦七月二十九日にお祭りをして来た姥神様です。今は一月遅れの八月二十九日に行っています。故佐竹正子さんの家に保管されている最も古い「御守、御礼入箱」には、明治三年旧七月二十九日と書かれています。したがって、この姥神様講中の始まりは江戸の後期にさかのぼることができますが、確かな年代は明らかではありません。
この姥神様の祭日は、八月二十九日の朝、八時に当番が鐘を鳴らして知らせることから始まります。姥神様が着ていた着物を脱がせて、新しいものに着せ替えます。この新しい着物などは元来、「お陰さまで安産できました」というお礼の意味を込めて、子供の生まれた家で作ることになっています。講中の男衆は旗を建てたり提灯を付けたりして支度します。時には出店を出して田楽等を売ったりしています。準備ができますと、佐竹さんの家から、ぼた餅が供えられます。また、子供が生まれる家からはお酒を差し上げる慣わしとなっています。お参りに来た人は大きなざるに盛った枝豆を丈夫でマメになるようにといって一つかみずつもらい、お神酒をいただいていきます。(会津美里町 高田上町の姥神様より引用)
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本日18時までです。
インフォスタッフもお参りをして、お守りと田楽購入しました゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚ 美味しかった♪