dsc00006 dscf3511 向羽黒山城が築かれる以前、葦名(あしな)時代は政治や生活の場として、黒川城(現在の若松城の地にあった)があり、葦名盛氏以前は、黒川城以外に戦争時に立て籠もる詰めの城として、小田山城がありました。しかし、小田山城から黒川城内の動きが手に取るように見えることから、黒川城の防御上、敵にこの城が落ちると不利となるため、独立した別の場所に山城を移したのが向羽黒山城です。
この向羽黒山城は、葦名盛氏以降、伊達政宗や蒲生氏郷にもよって改修を重ねられています。
現在は、国指定史跡となっており、ニ曲輪跡からは会津盆地を一望できる憩いの場として利用されています。

~時は大河ドラマ「天地人」時代の慶長3年(1598)~
越後から直江兼続と上杉景勝が会津に入り、葦名盛氏が1561年から1568年までの8年間を費やして築いた向羽黒山城を、徳川家康の会津進攻に備える最後の砦として大改修しました。

写真は、当時の復元図と現在のニ曲輪になります。

Published On: 2009年4月21日Categories: 文化歴史スポットTags:

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