今、会津若松市にある『鶴ヶ城』が鶴ヶ城天守閣再建50周年の折に、鶴ヶ城の修繕工事をしています。
幕末戊辰戦争時の鶴ヶ城の天守閣の瓦は赤瓦だったと考えられています。
その為今回の修繕工事で鶴ヶ城の瓦が赤瓦に生まれ変わります!
そんな赤瓦。
会津本郷焼の歴史の中でも赤瓦というキーワードが出て来ます。
そして、当時の鶴ヶ城の赤瓦は会津本郷で製作されていた物です。
1593年 蒲生氏郷が城郭修理の際、播磨国から石川久衛門らを招き屋根瓦(黒瓦)の製造をさせる。
1639年 天守閣を五層にし、西出丸と北出丸を増築。
1653年 水野長兵衛が新しく施釉の赤瓦の焼成に成功。瓦役所が置かれる。
同年 太鼓門(現在の椿坂正面)が初めて赤瓦にかわる。
1874年 鶴ヶ城が廃城になる。
会津本郷焼の起源は瓦から始まっています。
保科正之公の時代に瓦の製造が行われた事、良質な土が取れ瓦の製造が発展した事が、会津本郷焼の始まりです。
最初に作られた黒瓦は寒さに弱く、凍みて割れてしまう事から改良が求められ、凍みても割れない施釉の赤瓦を製作し、城へ届けました。
80年ほど前までは会津本郷でも瓦工場が残っていたのですが、今現在は会津本郷で瓦を製造している所がなく、今回修繕される赤瓦は残念ながら会津本郷の物ではありません。
来年の3月に赤瓦に生まれ変わった鶴ヶ城を見て、会津本郷焼との関わりを少しでも思い出して頂ければ嬉しいです。